2008年06月10日

屋根から降ってきたやついるらしいぞ

今月1日日の暮れ、僕は栃木の寮に着いた。
バブル期に建てられた寮の綺麗さに感動し、気分はルンルンだ。
僕の部屋は4階、最上階だ。4階の半分は物干場になっていて
そこかの眺めと風がとても気持ちいい。
一緒に来た同期とそこで酒を飲もうとビールを買ってきた。
肌寒さが丁度いい物干し場は座るところがない。
ぼくは屋上でよく見るプラスチックの明かり取り窓を見つけた。
モッコリしている形なのでその頂上に腰掛けるといいと思って
座った、瞬間
明かり取り窓は破れその後3秒間くらいぼくは落下した。
3秒後には腰に激痛が奔った。
痛い。なんで? ここ どこ

3メートル上の破れた窓から同僚が
かつーん! 同僚もびっくりしている。
助けてくれ。。。
誰かが階段を走って登ってくるのがわかる。
大家さんだ
どうしたのお!!??
ほんますんません。
電気が点くとここは3階に住んでいる人の部屋みたい。
よく見ると体中にガラスも刺さってる、口の中にもある。
どうやらサンルーフを突き破って落ちたようだ。部屋は悲惨な様。
救急隊員が来て担架に積まれて救急車へ乗った。
やってもうた 最悪や。
病院へ着いたころには痛みも和らぎ歩けるくらいになってレントゲンも異常なし
打撲で即日退院。救急車に乗ってきてくれた先輩も笑いをこらえていたのか
診療が終わると笑いまくっていた。
寮に帰った、とりあえずみんなに謝罪してまわった。
寮母さん、寮長さん。すんませんでした。
落ちた部屋の方も帰ってきて部屋を見て唖然とし、もう笑うしかないといった表情だ。
申し訳ありません。なんて言ったらいいかわからずひたすらその言葉しか出なかった。
その人が部屋に居なかったのが幸いだった。
次の日、栃木研修初日。僕は有名になっていた。
その日笑顔で過ごした時間は1秒もなかった。

http://mainichi.jp/area/shizuoka/archive/news/2008/05/28/20080528ddlk22040200000c.html
物干し場には二度といかない。

投稿者 eita : 23:25 | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年05月11日

どうも

年に一回の更新をします

ファンの方には一年間待たせてしまって
大人気おもしろブログの管理者として責任を感じます

いろいろあって
この4月からピチピチの社会人一年生。in仙台

仙台は思ってたよりずっと都会で大通りはアーケードがあって
商店街は繁盛してる模様 
街角シンガーも結構いるし人もそんなごったがえしてないし
街は夜になるとディスコいくで〜て格好のプリプリギャルで溢れる
仙台と水戸と名古屋はブスが多いて聞くけど
そんなこともない 
牛タンもうまい やっぱり肉は厚くて半生でないとあかん
牛タン食いまくって舌がすこし長くなったから
滑舌もよくなったし セクシーな舌使いもできる

社会人生活に疲れ果てたときは国分町へ
案内してもらいたいもんです

昨日、テレビで胡錦濤が愛ちゃんと卓球に熱中してる後ろで
それをニヤニヤしながら見てる福田総理の横に同じく
ニヤニヤしているダッサイ毛沢東のTシャツを着たひげ面の男を見たとき
目ん玉飛び出そうになった。 彼はおれの友達ではありませんか
のおおおーー!!って一気にテンションが上がって
急いで彼に連絡とったら間違いなくその彼やった。。
いや〜ビックになられました。みんなスーツの中一人Tシャツで
アピールするその度胸にはM字はんリスペクトです。
上海メンバーはyoutubeでも見れるので要チェックやで
何十年後かしたら普通に朝まで生テレビで見れるかもしれんけど。。
いまのうちに彼の変態写真をがっちり保存しとくことを勧めます。

投稿者 eita : 00:15 | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年05月13日

国道16号

 時間ができた。
やっと学生らしくなにもすることがなく、自由で暇な生活に戻った。
忙しいときには暇になったらあれこれしようと思いつくくせにいざ暇になると暇に過ごす。
昨日、ビデオを借りにツタヤへ行った。4年前、大学入ってすぐにツタヤでバイトをしていた事があってその時の店長が居た。確か、留学しまーすといって辞めたはず。その半年後ぐらいに留学したんやけど。いまさらやし知らん顔してよと思てたけど目が合った瞬間に『ちわっす』と声が出た。店長は覚えていてくれたようで、しばらくしゃべった。戻ってきたいのかと聞かれたけど今日はビデオを借りにきましたと。店長だいぶ太ってたな。おれも太った。
帰り道に久しぶりに16号を通った。懐かしかった。大学に入って初めて住んだ家が16号の近くでバイトも16号沿いでバイトあがりに夜中の16号を通って帰る。店はなんでもそろっていて、昼間は車がガンガン通るのに、夜はガラガラな16号のファンになって二度目の引っ越しの時も16号沿いにした。
16号は駅から遠い。いまは駅の近くに別のとこに住んでる。16号を通ると昔バイトあがりに帰ったら何食おうとか、何しようと楽しみにしながら帰ってたことを思い出した。
懐かしくなって昔住んでた家の前をふらっと通って、帰り道に前からいつ潰れるんやろうと思っていた古本屋がとうとう潰れるらしく閉店半額セールをやっていたので入った。
古い、古本屋なのでむかーしのエロ本とかむかーしの雑誌も置いてあった。
それ以外にも、本が山ほどあった。あの価格で、あんなにいろんなおもしろさを買えるのは最高やないの。本屋は宝の山かと思った。3冊かった。この店も16号近く。
てか最近東京タワー買ったばっかでまだ読みかけや。
母の日やし、感謝の意を込めて東京タワーを読むで。
ついでに昨日買ったフーミンの写真集もじっくり見るで。


投稿者 eita : 14:11 | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年03月05日

満員電車

 今日は、曇りで湿っぽかった。地元の天候を思い出した。高島時雨。なんもええとこないんやけど、すらっと思い出がかすめた。
住めば都てゆうけども、ほんまの都に住みたいで。毎日片道1時間ほどかけて東京へでるのにちょっと疲れたわ。このまえ満員電車でついつい手をポケットもしくは胸元へ置くことを忘れてて、ギュウギュウ詰めにされたとき、まえのおばちゃんがギラッとこっちを見た。おっとマイハンドがヒップに当たっているではないか。失礼。上の週刊誌の広告に夢中になってた。ゴシップ事は結構おもろい。
喫煙者も肩身が狭いなあ。そろそろ携帯灰皿でも買ったほうがええなと思ってきた。
高校を卒業して一緒に東京に出てきた友達がいたんやけど、東京に出てきて1週間後くらいにまたその友達に会ったら彼はもう流暢な関東弁を使いこなしていて、恥ずかしいから関西弁を話すなといったその彼に、このまえ携帯灰皿を持てともゆわれた。なるほど。
スーツを着るだけでけっこう引き締まるもんがある。実家のつなぎを着るだけで出てくる活力もある。ということを今日は思った。

投稿者 eita : 21:55 | コメント (3) | トラックバック (3)

2007年02月07日

听妈妈的话

 昨日やっとこさ入居。
新居は安い割に駅から近くて部屋もおちつく。日当りさえ良ければと思うけどまぁまぁ。
夜になるとだれかが歌ってる声がするなと思ったら1階はパブかキャバクラかなんかになってる。うるさいと文句をいうついでに今度いってみよう。

今年は実家で節分を迎えて、久しぶりに豆まきをした。
そういえば昔、小学生の時に節分で豆まきをしたとき、ふざけて『福は外』と一度ゆってみた。そしたら後ろからいきなり首を掴まれ倒された。親父だった。『福は外とはなんじゃ!!』と怒鳴られ福は外ということがいかに縁起の悪いことかと、家族の福について1時間ほどの説教と往復20発ほどのしびれるビンタをいただいたことがあった。
小学生ながら福は外でなんでこんなしばかれてるんかわからんかった。
そんなことは口にも出せるはずもなく、
『こうこうでこうや!わかったか!』
『はい!!』 バッシィイ!!
てな感じで。最後のほうは頬が麻痺してきてもうやけくそ。
しばかれるたび『おっしゃあ!』とかゆうてたのを覚えている。
後でおかんがゆうには親父はそのとき仕事の事やらなんやらで機嫌が悪かったらしい。
オイ!!

笑い話やけどでもそれ以来節分の時に福は外なんかいったことない。なんか抵抗がある。
なんか伝わったんやな。ビンタ以外にも。笑
親の教育がすばらしいといえるように自分自身努力しようと、節分におやじが大声で豆をまいたあとにどやって顔してるのを見て思ったのでした。
福を求めて就活しやす。

投稿者 eita : 02:14 | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年01月24日

帰国

 4日前20日に帰ってきた。いま滋賀す。
日本は暑い。空港で汗がしとーってきたから秋のような格好してみたらちょうどええ。
北京の寒さにならされましたがな。
この4日間はせっせと日本と故郷を感じまわって若干疲れ気味。

北京へ行く前に思ってたことがあった。いままで自分はどっか流されてるようで、ダラダラしてておれってどうなん?て自分に首をかしげる事がよくあった。それを流さず受け止めてどうにかしようと。自己分析じゃないんやけどそんな感じのテーマで北京へ向かった。それとはまた別に自分を無理矢理動かしたりして、おれはいまなにしてんねんって思う瞬間もよくあった。かなりおおまかに書いてるけどまあ北京での生活は辛い時間が多かった。
行く前の自分と比べてどうにかなったんじゃなく、なにかを得たように思う。
ただ人間らしく、シンプルにいこうと今は思う。北京でいろいろ感じたことはあるけどそれを一番感じた。
まあそんなとこで、もう朝や。今から部屋探しで東京へ参る。


投稿者 eita : 03:56 | コメント (204) | トラックバック (450)

2006年11月17日

シメシメ

 北京は寒かった。最近寒くねえ。
寒かったり暖かくなったり。
道を歩いてるといつもの所にいつもの物乞い親子がいる。
ずっと外にいるものにしたら寒いだろう。1元もやらないことにしている。ちくしょうやりたい気持ちはあるけど、ほかに生きる方法を見つけてほしいと思ってやらない。気持ちは1ミリも伝わってないやろう。物乞いを見て通りすぎた後にはふと物乞いから普通の生活を送れるようにするにはどうすればいいか考える。おれやったら、、0からか。とりあえず知り合いを作って街角で道具を使わず。コントでもしたら中国人は古典的なやつが好きやからな集まってくるかもな。歌。思いつく事はどれもありきたりで出口が狭い。
ずっと路上で過ごしてきたならそれが当たり前なんやろう。だれも変えようなんて思わん。変な考えはおこすなと思いつつも毎回ふと考えてしまう。彼らにはなんもいえんけどせめてもっと人通りの多い所へ行けばいいとは思う。
そう、この前いつも病気でもして動けないのかと思うくらいグッタリ座ってる物乞いの子がうれしそうにぴょんぴょん跳ねてるのを見た。おお演技派かと思って安心した。それを母親がやめなさい、お金もらえないでしょといわんばかりの顔でおさえてたのがちょっとおもろかった。元気そうやな。皆なんだかんだ楽しそうに生きてる。
おかんがなぜかサクマドロップを送ってくれた。部屋に置いといたら友達が来て珍しそうにガブガブ食って行った。韓国人はジブリを知ってたらしく、蛍の墓やーゆうて食ってた。そのあとドロップの中を見るとハッカしか残ってなかった。
かわいそうにハッカは世界中どこでも嫌われ者だ。嫌われ者は長生きするとはこのことかと思った。おっと大丈夫だぜ。あとでキスの前にでも食べてやるさ。
あとなぜかそれといっしょに送られてきたISEKI(実家の会社)のウインドブレーカーと帽子はアメリカ人がかっこええゆうて持って帰りました。処分するまえでよかった。ありがとう。

投稿者 eita : 22:41 | コメント (4642) | トラックバック (136)